大阪高等裁判所 昭和58年(ネ)1758号 判決 1986年1月31日
控訴人 自檀地チヱ子
<ほか二名>
右三名訴訟代理人弁護士 吉田恒俊
同 佐藤真理
同 相良博美
被控訴人 奈良県
右代表者知事 上田繁潔
右訴訟代理人弁護士 川村俊雄
右指定代理人 吉川勇
<ほか二名>
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
原判決を取消す。
被控訴人は控訴人らに対し各金一六七三万円ずつ及びこれに対する昭和五三年一二月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
仮執行の宣言。
二 被控訴人
主文同旨。
第二主張、証拠
当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、その記載を引用する。
一 主張の訂正
1 原判決二枚目裏八行目「時速約二〇キロメートル」を「時速約二五ないし三〇キロメートル」と訂正する。
2 原判決五枚目表一行目「あるところ」の次に「からすれば」を、五行目「東側」の次に「(谷側)」をそれぞれ挿入し、五行目「設置すべき」を「設置する」と訂正する。
3 原判決五枚目裏一行目「認識ないし」を「認識し、ないし」と、七、八行目「凍結防上剤」を「凍結防止剤」と、一〇行目「その」を「本件事故現場付近において」とそれぞれ訂正する。
4 原判決六枚目裏三行目「ところが、本事故は」を「本件事故は」と訂正する。
5 原判決七枚目表二行目「遭なけれは」を「遭わなければ」と訂正し、四行目「同人は、」の次に「昭和五三年四月から酒類販売業を営んでおり、」を挿入し、同裏一行目「〇、〇三」を「〇・三」と、「一一、五三六三九〇七九」を「一一・五三六三九〇七九」とそれぞれ訂正する。
6 原判決七枚目裏八行目「チエ子」を「チヱ子」と、一〇行目「一六七三万円」を「一六七三万一二七〇円」とそれぞれ訂正する。
7 原判決九枚目裏一〇行目「チエ子」を「チヱ子」と訂正する。
8 原判決一二枚目表一一行目から同裏三行目までを「稔運転の自動車は、湧き水水源を過ぎたあたりの凍結路面でスリップし、山側の堆積物に乗り上げ、かつ山側に張ってあった金網に接触し、その反動によって谷側に横すべりし、路面凍結のためブレーキ、ハンドルが利かず、そのまま崖下に転落したものであって、稔にはなんら運転上の過失はない。」と訂正する。
9 原判決一二枚目裏四行目「3」を「(3)」と訂正する。
二 証拠の付加《省略》
理由
一 自檀地稔(「稔」という)が、昭和五三年一二月二五日午後二時五分頃軽四輪自動車を運転し奈良県吉野郡東吉野村大字平野一三二〇番地先の県道吉野・室生寺・針線(「本件道路」という)を平野川沿いに同村出合方向から同村滝野方向に向けて走行中、進行方向右側の平野川河川敷に転落し、その結果翌二六日午前一〇時二分頃町立大淀病院で死亡したことは、当事者間に争いがない(この事故を「本件事故」という)。
二 控訴人らは、本件事故は被控訴人の本件道路の管理に瑕疵があったために発生したものである旨主張するので、検討する。
1 本件道路は、被控訴人が管理する県道であるが、本件事故当時本件事故現場付近には防護柵が設置されていなかったものであることは、当事者間に争いがない。
2 そして、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件道路は、東吉野村から室生村に通ずる、アスファルト舗装をされた、歩車道の区別のない県道で、山間道路ではあるが、沿線住民にとっては主要な生活道路であり、本件事故現場付近での一日の車両通行量は約三〇〇台である。
(二) 本件事故現場は、本件道路を平野川出合橋の国道一六六号線との三叉路から北へ約二五〇メートル入った地点で、本件道路は、同所付近で稔運転の車の進行方向(北)に向かって右側に半径約六〇メートルの円弧を描き、路面は道路横断面では東へ約一・七四パーセント(但し、原判決添付別紙交通事故現場見取図(一)表示A―A'線で測ったもので、道路幅員六・五〇メートルにつき〇・一一三メートル)の、進路前方(北)へは二・四七パーセントのそれぞれ下り勾配となっている。右円弧の外側(西)は、標高四〇〇メートルの山の法勾配約六〇度の急斜面で、法面には高さ約八メートルのところまで災害妨除のための金網が張られ、円弧の内側(東)は、約六ないし八メートルの高低差を持った崖状の谷になっていて、その底を平野川が流れている。対岸も標高約三五〇メートルの山であるため、本件事故現場付近の日照時間は、概ね一、二時間程度と推定される。
(三) 本件道路の有効幅員は、約四・六〇メートルから六・八〇メートルであるが、稔運転の車が本件道路から逸脱したとみられる箇所より二〇メートル余り手前(前記A―A'線)より北では六メートルを超えている。
(四) 本件事故以前から、右A―A'線より更に一五メートル余り手前の本件道路西側山の斜面高さ三・五メートルあたりのところ(前記図面に湧水水源又は湧水口と表示されたところ)に湧き水があり、数条の垂れ水となって下に流れ落ちていた。その量は、季節や降雨の有無等によって異りもとより確知し得ないが、本件事故後本件道路の下を通って平野川に排出すべく敷設された土管によって排出される湧き水の量は、原審における検証の当時(昭和五六年一二月二三日)一分間に七五〇CCであった。本件事故当時は、右湧き水等を排除するために、本件道路西端にはL字型側溝が設けられていた(右側溝は現在も存在する)が、右側溝には厚さ三ないし四センチメートル(乙第一号証の実況見分調書中に「〇・〇〇三~〇・〇〇四メートル」とあるのは、《証拠省略》に照らし、「〇・〇三~〇・〇四メートル」の誤記と認める)程度の土砂や落葉が堆積していたため、山の斜面を流れ落ちた水は右側溝を流れ切らずに滞留し、湧水水源直下より北約二八メートルの側溝一帯を幅一、二メートルにわたって湿地帯とし一部に水溜りを生じさせ、更に本件道路にも湧水水源直下より北へ二〇メートルほど路面全体にわたって流れ出ていた。
(五) 本件事故現場付近の気象状況は、同所に最も近い気象観測地点である大宇陀観測所での観測結果によれば、昭和五一年一二月下旬の平均最高気温が六・五度、平均最低気温がマイナス一・四度、昭和五二年一二月下旬の平均最高気温が八・八度、平均最低気温がマイナス〇・六度、昭和五三年一二月下旬の平均最高気温が八・二度、平均最低気温がマイナス三・〇度であったが、本件事故前日に寒波が襲来し、本件事故当日の最低気温はマイナス四・五度であり、最高気温は一〇・〇度であった。なお、本件事故当日の天候は晴天でほとんど無風であったが、前日及び前々日は雨天であった。
(六) 以上のような状況から、本件事故現場付近の本件道路の路面の状態は、前記のとおり路面に流れ出た湧き水が前夜来の寒波のため原判決添付別紙交通事故現場見取図(二)記載の範囲で凍結し、それが日中の気温の上昇と車両の通行とにより一部シャーベット化しつつも前記のとおりの日照時間の不足から融け切ることなく、本件事故当時ほぼ右図面記載のとおりの状態にあった(右図面記載の状態は、本件事故の約一時間後である昭和五三年一二月二五日午後三時六分から四四分間にわたって行われた警察官による実況見分の際の状態である)。
原審及び当審証人城山吉史は、本件事故現場付近の本件道路の路面は本件事故当時全面にわたって厚さ三センチメートルほどの氷に覆われていた旨証言するが、《証拠省略》に照らしてとうてい措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件事故現場附近の本件道路については、昭和五二年度に東吉野村から被控訴人の方に、ほか二十三箇所の道路についてと同時に防護柵設置の要望がなされていたが、被控訴人の方では、緊急度の大きいところから逐次設置することとし、本件事故現場附近の本件道路はいわゆる内カーブであり、かつ道路幅もさほど狭くはなく見通しはよいため、路外逸脱の危険性はそれほど高くないものとみて、本件事故当時は防護柵を設置していなかった。
(二) ただ、前記のとおり路面凍結の危険性があるため、本件事故以前から本件道路の本件事故現場の手前(南)約一五〇メートルの道路西端には「通行注意」「凍結」と表示した道路情報板が、また前記湧水水源直下の手前(南)約二〇メートルの道路西端の電柱のところには「凍結注意」と表示した立看板が設置されていた。
前記東吉野村からの防護柵設置の要望は書面による一回限りのものであるところ、原審証人桝谷実雄は、本件事故現場附近の本件道路についての道路柵設置の要望は右以外にも口頭で再三なされていたかのように証言するが、右証言はそれ自体あいまいであるのみならず《証拠省略》に照らして措信できず、他に右認定を左右する証拠はない。
ところで、控訴人らは、本件事故現場附近の本件道路は、前記のような地形の場所にあるから、昭和四七年一二月一日建設省道企発第六八号建設省道路局長通達の定める防護柵の設置基準によれば、防護柵を設置すべき場所にあたり、したがって、その設置を欠く以上、被控訴人の本件道路の管理には瑕疵がある旨主張する。しかし、《証拠省略》によれば、右設置基準は道路を新設又は改築する場合には適用される一般的技術的基準であって、本件道路のような既設道路について直ちに適用されるものではないことが認められ、右認定に反する証拠はない。したがって、右設置基準は被控訴人の本件道路の管理に瑕疵があるか否かを判断するにあたっての参考資料の一つになるとはいえても、本件事故現場附近の本件道路が右設置基準に従って道路柵を設置していないとの一事をもって被控訴人の本件道路の管理に瑕疵があるものとすることはできない。
4 また、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 稔運転の車が路外に逸脱したときの状況を直接目撃した者はいない。
(二) しかし、稔運転の車には梶寿運転の車が追尾していたが、梶寿は急いでいたため本件事故現場の一、二キロ手前で追越しをはかったけれども果さず、その後車間距離は四、五〇メートルに開いて本件事故現場に至ったものであるところ、梶寿は自車の時速は二、三〇キロであった旨証言している。
(三) 稔運転の車の路外逸脱箇所は、前記路面がシャーベット状に凍結している箇所の先端から一五・六〇メートル先のところであり、その間は右凍結箇所の先端から五・六〇メートルの間に湿潤路面があるほかは乾燥路面であった。
(四) 転落した事故車は、原判決添付別紙交通事故現場見取図(一)に示すように前記路外逸脱箇所の前方九・九〇メートルで、道路東側からの水平距離約八・八〇メートル東の崖下のところに、前部を本件道路向きでやや進行方向とは逆の方向(南)に向けて停止していたが、左前部、天井等が大破していた。
(五) 路面にはスリップ痕はなく、前記路外逸脱箇所には路側に対する進入角約二〇度で四・〇〇メートル及び三・五〇メートルの二条のタイヤ痕(ころがり痕)が印されていた。
(六) 事故車にはタイヤのパンクやブレーキの故障等の異常はなかったが、タイヤは四本とも(うち一本は極端に)摩耗していた。
以上の認定事実にさきに認定した本件事故現場附近の本件道路の路面の状況を総合すると、稔運転の車は時速二・三〇キロをやや上廻る速度で本件事故現場附近にさしかかったが、同所の前記路面凍結箇所でスリップしたため、稔は狼狽し、適切なハンドル操作、凍結箇所が切れた所でのブレーキ操作等の適切な運転操作をせず、その結果稔運転の車は路外に逸脱、転落するに至ったものと推認するのが相当である。《証拠省略》によれば、稔は、昭和二年一〇月一日生まれであるが、若い頃から郷里の東吉野村を離れており、再び東吉野村に住むようになったのは本件事故と同年の昭和五三年四月頃のことであること及び稔が自動車の普通免許を取得したのは同年四月一五日のことであることが認められるが、右事実も前記推認を支持するものということができる。証人梶寿は、原審において、自車と稔運転の車との車間距離は二・三〇メートルであった旨証言し、また当審において、稔運転の車の時速は二・三〇キロであった旨証言するが、右各証言部分は前掲証拠に照らして措信し難い。
本件事故の態様及び原因につき、《証拠省略》は、本件事故現場附近の本件道路の路面が全面にわたって氷盤状に凍結していたこと及び前記タイヤ痕が横すべり痕であることを前提として、事故車は、前記路外逸脱箇所の約二〇メートルほど手前でスリップして車体左前部が山側に接触し、その反動で車体が一回転又は半回転しながら谷側に横すべりして、右路外逸脱箇所から転落したものと推論しているが、右推論は、右の前提としている事実が前掲証拠に照らして採用し難いばかりでなく、推論そのものも前認定の事故車の停止位置などからして無理な見方といわざるを得ないのであって、採用することができない。
他に以上の認定を覆すに足りる証拠はない。
5 さて、国家賠償法二条一項の道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうのであるが、営造物が通常有すべき安全性を欠いているか否かは、営造物を通常の用法に即して利用することを前提として、営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して判断すべきものである。
そこで、これを本件についてみてみるに、前記1ないし4の認定事実によれば、本件事故当時本件事故現場附近の本件道路は道路柵がなく、事故車の路外逸脱箇所の手前約三五メートルから一五メートルの間は路面が一部シャーベット状に凍結しており車がスリップし易い状況にあったこと、そして、右の路面凍結は道路端の山の斜面からの湧水によるもので本件事故現場附近の気象条件からすれば予測のつく事柄であり、また車が路外に逸脱転落すれば死亡事故に至ることがありうることも予想される事柄であったこと、しかしながら、本件事故現場附近の本件道路は曲率のそれほど大きくないいわゆる内カーブの道路であり、たとえ車が路面凍結のためスリップしたとしても、山側に接触する危険性はあっても谷側に向かう可能性は少なく、しかも道幅は六メートルを超えているのであるから、運転操作さえ誤らなければ、路外に逸脱し崖下に転落する危険性は少ない箇所であるということができること、しかも、本件事故現場の手前には二箇所に凍結注意の道路標識が設置されていたこと、ところが、稔は車運転の初心者でかつ冬期の本件道路に不馴れなためもあって、十分な徐行をすることなく凍結箇所にさしかかってそこでスリップし、その後の運転操作を誤って路外に逸脱転落したことが認められるのであって、以上の事実を総合すれば、本件事故現場附近の本件道路は未だ通常有すべき安全性を欠いていたものとはいうことができず、被控訴人の本件道路の管理に瑕疵があったものとすることはできない。
三 そうだとすると、被控訴人の本件道路の管理に瑕疵があることを前提とする控訴人らの本訴請求は、そのほかの点について判断するまでもなく理由がなく、棄却を免れない。
よって、右と結論において同旨の原判決は、結局のところ正当というべく、本件控訴は、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小木曾競 裁判官 露木靖郎 下司正明)